なぜあの世とこの世があるのか(その2)W005
前回のブログでなぜこの世があるかをご理解いただけたでしょうか。意味は判るが本当だとは思えない方も多いのではないかと思います。これ以降もこのような話が続きますので、徐々にご理解いただければと思います。
前回のブログでは神が神であることを体験的に知りたいと考え、神を無数の部分に分けてこの世をつくり、人は神であることを忘れてこの世に来たと述べさせていただきました。このことは見方を換えると、この世に存在する全ては神であるということになります。あなたも私も神の一部だということです。自分が神であるとは到底理解できないと思われていると推測いたします。それもそのはず、我々がこの世にくる際に神であることを忘れるようなシステムになっているのです。ですから、自分が神であることを忘れていれば、初めの目的は達せされています。なにせ神様が作ったシステムですので完璧です。次の目的は神であることを体験するということです。どうすれば、神であることを体験できるのでしょう。その答えは、我々はバラバラではなくすべては一体だということを思い出し、そのように行動することであると私は考えています。我々は神様の一部であり神様と常につながっています。我々はバラバラだと思うことが、すべての争い、憎しみ、差別、軽蔑、不満、傲慢、不安、恐怖、苦痛の原因だと考えています。これらはこの世(仮想現実)にしか存在しません。なぜならあの世(神様しかいない世界)に、これらは存在しないため、幻想としてこの世に創ったものだからです。神様が神様であることを体験的に知るために。しあわせになるためにはこの「神様から分離してバラバラである」という考えを手放していけばよいと考えます。ようやくこのサイトの目的の入り口に来ました。このサイト名は「覚之輔としあわせ探し」です。しあわせがどちらの方向にあるか感じていただけたら幸いです。これらを手放すことは、これまで何千年と積み重ねてきた人類の歴史を考えれば、簡単なことではありません。しかし、不可能ではないと思っています。
次回のブログ以降しばらくは、もし分離は幻想で、本当は「すべては一体」であるという考えを世界の理念にして、世界の仕組みを創るとするとどうなるかという妄想の世界のお話を繰り広げていこうと思います。
ディスカッション
コメント一覧
うーん。
どうもわかりません。
何故なら、ここでいう神様はキリスト教の神様でしょうか?
キリスト教的神だと仮定します。
キリスト教的神は、万能で不可能が無いという前提にたっています。
なぜ、その万能の神が自分が神であること、幸せであることを、そうでないことを経験しないと理解でかないのでしょうか。
また、キリスト教的神は愛であるとも言います。
自らが幸せを感じるために不幸せな自分の一部を作る、それは愛の原則に反していると思います。
また、仮にそれは自己の一部だから、不幸せを感じて良いのだ、とします。しかし、自分への愛は自分以外への愛に通じるものだと実感している私としては自分自らを苦しめる行為、思想に違和感を感じます。
しかし、おそらく覚之輔さんは、「神様は不幸を作ったのではない、不幸を感じるのはその人自身の脳=仮想空間なのだ」ということもできます。
しかし、仮にそれを不幸だと感じるのは自分だとして、不幸は現実ではない、とすると、幸せを感じている自分自身も現実ではない、となるのではないでしょうか?
そんなことをふと考えました。
覚之輔の考えとは異なる、貴重なご意見ありがとうございました。いろいろな意見があって当然だと思います。他の人がどの部分が理解できないかがわかり、とても役立ちました。フロントページにも記載させていただきましたが、「ここで述べたことがしあわせへの唯一の方法ではありません。また、ご提示させていただいた案を強制するつもりもありません。ここで述べさせていただいた内容はあくまでも覚之輔個人の見解であり、ご判断は読者の方にお任せいたします。」とありますように、ご自分で納得いただけたところだけ採用いただき、少しでもLilicoさんの幸せに役立てれば幸いです。
覚之輔
覚之輔さま
ふむふむ。
そうでした、そうでした。幸せになるために、でしたね。
幸せになるために、と考えると、しかし、覚之輔さんの様な理解もまた可能な気もするのです。
というか、覚之輔さんのおっしゃる魂が大元で繋がっている、というのも納得です。そして、自分が神の分身である、というのも納得です。
ただ、何故神がそうやってあの世とこの世を使ったのか、そこの理解が異なっているかと思いました。
しかし、あの世とこの世が別物だと考えるとそこを埋め合わせる何かが必要ですが、あの世とこの世は繋がっていると考えると隔たりはなく、なんの説明も要らないかもしれません。
言ってみれば、あの世とこの世の関係は夜と朝の関係と同じなのかもしれません。両方とも受け取る地球側の登場人物は同じです。しかし、宇宙側の登場人物により我々に当たる光が変わり、同じものだった空が夜と朝になる。そんな感じかもしれません。
しかし、そうなると、宇宙側の月は何なんのか、太陽は何と考えたら良いのかがわかりません。
投稿の文章ではあまりうまく伝わらなかったので、似たようなことが書いてる本がないか覚之輔の愛読書の中で探してみたところ、この投稿で伝えたかった内容が書いてある本を見つけました。その本のタイトルは「もっと あの世に聞いた、この世の仕組み」(サンマーク出版)で著者は雲黒斎さんです。この本の第3章、第4章にとても分かりやすくまとめてあります。この本はとても読みやすいので読んでみてはいかがでしょう。同じような本が2冊あり緑のカバーの本です。この本のように人に分かりやすく伝えられるように精進いたします。
覚之輔