人生の師(母)M004

 母は常々「ピンピンコロリ」が一番いいと言っていました。どういう意味かというと死ぬ間際まで元気に過ごして、死ぬときはコロリと死にたいという意味です。とはいってもそううまくはいかないと思うのが普通だと思うのですが、母はこの言葉どおりに生涯を終えることができました。

 母は2020年11月の下旬にムカムカが取れないので近くの病院に診察してもらいに行きました。検査結果を一週間後に聞きに行く予定でしたが、診察から3日後に直接担当医から電話があり、明日入院してほしいとのことでした。病名はすい臓ガンでした。発見した時にはすでに肝臓への転移も見られ手術ができない状態でした。さらに、すい臓ガンの中でも増殖が速いガンだったようで、すぐに口から栄養を摂取することができなくなり、抗がん剤治療もできない状態でした。母の唯一の希望は痛みと苦しみを無くしてほしいとのことでした。とにかく痛いのだけは嫌だといつも言っていました。幸いにも最近は痛み止めの薬が発達しており、痛くなったら、すぐに看護師さんを呼んで痛み止めを入れてもらっていました。その甲斐があってほとんど痛みを感じることは無かったと思います。正月明けに消化器内科から緩和ケアに移動することとなり、その2週間後にこの世を去ることになりました。ガンとの闘病期間はわずか1ヵ月半でした。まさに「ピンピンコロリ」を実践したといってもよいのではないかと思っています。

 病気の状態を自分でも理解しており、先が長くないとわかっていましたが本人は不安も恐怖も全くないと言っていました。病気になる前からもう思い残すことは何一つないと言っていました。実際に自分が不治の病にかかった時に果たして同じこと(不安も恐怖もない)が言えるのかと少し疑問に思っていたそうなのですが、不治の病にかかってもその思いは変わることは無かったと語っていました。