なぜあの世とこの世があるのか(その2)W005

2020年12月27日

 前回のブログでなぜこの世があるかをご理解いただけたでしょうか。意味は判るが本当だとは思えない方も多いのではないかと思います。これ以降もこのような話が続きますので、徐々にご理解いただければと思います。

 前回のブログでは神が神であることを体験的に知りたいと考え、神を無数の部分に分けてこの世をつくり、人は神であることを忘れてこの世に来たと述べさせていただきました。このことは見方を換えると、この世に存在する全ては神であるということになります。あなたも私も神の一部だということです。自分が神であるとは到底理解できないと思われていると推測いたします。それもそのはず、我々がこの世にくる際に神であることを忘れるようなシステムになっているのです。ですから、自分が神であることを忘れていれば、初めの目的は達せされています。なにせ神様が作ったシステムですので完璧です。次の目的は神であることを体験するということです。どうすれば、神であることを体験できるのでしょう。その答えは、我々はバラバラではなくすべては一体だということを思い出し、そのように行動することであると私は考えています。我々は神様の一部であり神様と常につながっています。我々はバラバラだと思うことが、すべての争い、憎しみ、差別、軽蔑、不満、傲慢、不安、恐怖、苦痛の原因だと考えています。これらはこの世(仮想現実)にしか存在しません。なぜならあの世(神様しかいない世界)に、これらは存在しないため、幻想としてこの世に創ったものだからです。神様が神様であることを体験的に知るために。しあわせになるためにはこの「神様から分離してバラバラである」という考えを手放していけばよいと考えます。ようやくこのサイトの目的の入り口に来ました。このサイト名は「覚之輔としあわせ探し」です。しあわせがどちらの方向にあるか感じていただけたら幸いです。これらを手放すことは、これまで何千年と積み重ねてきた人類の歴史を考えれば、簡単なことではありません。しかし、不可能ではないと思っています。

 次回のブログ以降しばらくは、もし分離は幻想で、本当は「すべては一体」であるという考えを世界の理念にして、世界の仕組みを創るとするとどうなるかという妄想の世界のお話を繰り広げていこうと思います。